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庄内のあちこちに出没して、「んめもの」や「おもしぇごど」を探してきます♪



雛めぐり◎日本のお雛さま文化交流会

2008-03-11 23:45:40
後半のシンポジウムのパネラーの皆さん 雛菓子や傘福、ポスターなどが展示された 講演する吉徳資料室長の小林すみ江さん

3月から4月にかけて展開されている「庄内ひな街道」を記念したシンポジウム「日本のお雛さま文化交流会inやまがた出羽の國 庄内」が8日、酒田市の東北公益文科大学内の公益研修センターで開かれました。

基調講演は、雛人形問屋の老舗「吉徳」の小林すみ江さんによる「雛人形 にし・ひがし」。

小林さんは、「人形は文化のかたち」であるとし、ひなまつりの発祥や歴史などをさまざまな資料を使って解説。中でも興味深かったのは、アメリカから友好の証に送られた、いわゆる「青い目の人形」の答礼人形として、昭和2年に58体の市松人形がアメリカに贈られ、メーン州には「ミス山形」と名づけられた人形が贈られ、州立博物館に収蔵されているそうです。

アメリカでは、このことがきっかけで、日本の人形づくりの技術が高いことを世界で証明されるようになったのだそうです。しかし、日本ではひな人形を作る人の地位は低く、芸術とは見られておらず、大変な苦労があったそうです。

それはさておき、この日米が交換した人形ですが、その後の世界大戦によって、対照的な運命が待っていました。

日本は、人形に人の身代わりの姿を見出します。それが、ひなまつりの原型とも言われるひとがた流しに表れています。そのため、戦時中の日本では、アメリカから贈られた人形に、敵国の姿を重ね合わせ、多くの人形を焼き討ちにしてしまったのです。12000体ほどあった人形は戦争後、約2%の300体ほどしか残らなかったそうです。

それとは対照的に、物質文明のアメリカでは、50体の人形のうち、48体が残っているとか。しかも、ハリケーンの後の豪雨で流されたとか、自然災害による損失だそうです。

こんなことからも、日本では人形が人の生活に入り込み、親しみながら生きてきたことがわかります。

ああ、長くなりそう。この項、まだまだ続きます。。。



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